歴史・文化
西蓮寺(さいれんじ) |
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この寺には、日本に三つしかないといわれる輪蔵があり、これを1回まわせば、一切経600巻を全部読んだだけの功徳があるといわれる。また、楼門は石見の 国の三門と称され、越後の国の工匠長山喜一郎作といわれ、彫刻が華麗で、金釘を一切使用していない重厚な門で有名。 |
雪田長源寺の枝垂れ桜 |
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平成15年12月に県の天然記念物に指定された。 胸高周り3m、樹高約14mの枝垂れ桜。 アクセス 邑南町雪田501
https://goo.gl/riqyag |
宝光寺 |
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宝光寺は浄土宗の寺院であり、正式名は「医王山薬師院宝光寺」という。創建由来について、室町時代前期の頃に南朝の忠臣・東屋山の城主・領家加賀守藤原玉光が開基の禅宗寺院であったと伝えられる。御本尊の薬師如来は行基菩薩の作と言われており、藤原玉光は城内に安置して「玉光寺」と号して朝夕と崇敬されていたという霊仏である。藤原玉光の落城、没落の後は、玉光寺は堂床山へと移されるも、大破によって寺号と本尊・薬師如来だけが残っている状態であった。
アクセス 邑南町日貫3375
https://goo.gl/clJfL1 |
旧山崎家住宅 |
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旧山崎家住宅は、今から約220年前の安永8(1779)年に建築されたものと伝えられています。当初、現在の日貫診療所付近にあったものが安永 5(1776)年の日貫大火により焼失し、安永8(1780)年9月27日に棟梁大工 銀山領川登兵七によって現位置に建築されたものです。 主屋の屋根は茅葺きで、棟には15本の棟飾りが付き、表側の中程から上は兜状に厚く茅が敷かれています。茅屋根を兜状に吹いた例は他になく、庄屋としての格式を表しているものと思われます。 大規模な改造としては昭和13(1938)年に曹洞宗大本山永平寺より無邊光照禅師 総持道海を迎える際、隠居(現在の離れ)の増築が行われました。往時 には大工4人程度が維持補修に毎日従事していたようです。昭和58(1983)年の大雨災害に伴う裏山及び河川護岸の崩落により、木橋、蔵1棟、土塀が流 出しています。そのため、河川改修の護岸嵩上げ、ブロック塀に改修されており往時の様子を伺うことは難しくなっています。平成10年4月に町の有形文化財に指定されています。 アクセス 邑南町日貫
https://goo.gl/SLUcdc |
二つ山城跡 |
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つづら折りの登山道を登ると、美しい自然の中に出羽一族の栄枯盛衰がかいま見られます。 二ツ山城は、益田七尾城に次いで石見で2番目に古いといわれる山城。貞応2年(1223)出羽朝輔が築城したと伝わります。それから約370年、出羽氏の 栄枯盛衰をともに生きてきました。 関ヶ原の合戦で西軍に参戦していた出羽氏は、敗戦を機に毛利氏とともに萩に移り住み、二つ山城の歴史は幕を閉じます。二つ山城跡は、平成16年8月に町の文化財記念物史跡に指定されています。 アクセス 邑南町鱒淵
https://goo.gl/9uBysI |
諏訪(すわ)神社参道 千年杉並木 |
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今からおよそ1100年前荒地を開拓するために信州の諏訪大社から農耕を勧める神の御分霊いただいた諏訪神社の参道の両側には、幹周約5m近くある21株もの杉の巨木が並び、昼なお暗いたたずまいを見せています。最も大きなもので周囲約5m高さ約30mにもなり、大地からは太い根が力強く盛り上がっています。樹齢千年以上ともいわれる杉の巨木が同じところに20本以上もあるのは、県内でも珍しく昭和44年に県の天然記念物に指定されました。
アクセス 邑南町矢上下京4047-9
https://goo.gl/Ditz38 |
龍岩(たついわ)神社 |
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神社裏に龍の頭に似た巨岩があり、その岩が八つの色をなすというので、昔から神社を龍岩神社、地名を八色石といいます。龍の頭のところにあるくぼみがあり、神社の祭事(旧暦3月3日)にこのくぼみに水があるかどうかでその年の天候がわかるといわれています。 八色石、龍岩橋から旧道を500mばかり行くと、右側の桧林の中に鳥居があり、そこから石段を訳400段登ると、八束臣津命をまつる龍岩神社があります。 龍岩神社から前方を眺めると、はるかに続く中国山地の峰々、右側に高くそびえる畑ケ迫の雄大さ、眼下には八色石集落を一望に収めることができ、本当に素晴らしい眺望です。 この神社の裏には龍の頭といわれる巨石があり、しかもその岩には八つの色があるというので、昔から地名を八色石、社を龍岩神社と言われています。 この神社の由来は、神代の昔出雲の須佐之男命の末孫八束臣津命がこの地に降りると、そこに一人の姫が現れて、「この国に八色の魔石がある、青々と茂った山たちまちに枯れ山となし、満々と流れる川をたちまち乾川となし、民を苦しめる。」と告げました。命はそれを聞き、その魔石を退治して、民の悩みを救おうと姫に案内させ、そこに着くと石をめがけて一刀のもとに切り付けました。するとその石は二つに割れて一つは龍の頭となり、もう一つは龍の尾となって遠く美濃郡の角石となりました。命は残った巨石を見て、「この国に奇異の石見つるかな」と述べられたといいます。それ以来、この地には災いがなくなったといいます。これが龍岩神社の起こりであるとともに、石見の国名もこれから起こったといわれています。火災除け、牛馬の病除けにご利益があるといわれています。現在の社は大正十年大工藤田寅一郎氏によって建築されたものです。例祭は、毎年4月3日とされています。 アクセス 邑南町八色石792
https://goo.gl/fxQ200 |
賀茂神社 |
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京都上賀茂神社とゆかりの深い神社です。 「板絵著色神馬図」の絵馬は、永禄12年(1569)に奉納されたもので、筆者は狩野治部少輔(狩野秀頼…室町時代から安土桃山時代にかけて活躍した狩野派の絵師、東京国立博物館蔵の国宝「高雄観楓図屏風」の作者)と明記されていたことから、昭和52年に国の重要文化財に指定されました。アメリカ建国200年祭(1976)では、ニューヨークとシアトルで開かれた「日本神道美術展」に日本の代表作品の一つとして出品され話題となった逸品です。 ・板絵著色神馬図(国指定重要文化財S52.6) ・(町指定有形文化財H2.3) アクセス 邑南町阿須那1834
https://goo.gl/ncMCcZ |
宗林寺(しゅうりんじ) |
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臨済宗天竜寺派。戦国時代、琵琶甲(びわこう)城主口羽(くちば)氏の菩堤寺。当時は寺伝によると、那須与一宗高の草庵であったが、永正3年(1506)浩雲和尚を開山とする禅寺に改められたといいます。
アクセス 邑南町下口羽371
https://goo.gl/lQ1yhZ |
三滝の観音 |
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三滝の観音は、源頼政の直系にある野田氏が、祖先以来信仰を深めていた観音を祀ったもの。下総国野田の城主だった野田氏は、北条早雲による関東平定の際に石州に落ち、冠山の懐深く入って製鉄の事業を起こした、と伝わります。 石州で野田氏は大いに栄え、冠山を取り巻いて、東に高見の円野板(円野坂)、南に田所の馬野原(四つ土居)、西に井原の野原(土谷)、北に布施の八色石 (板屋)に居を構えて豪華を誇りました。現在は切り立った岩山の頂上に一間四方の御堂が建ち観音がここに安置されています。 アクセス 邑南町高見
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稲積家住宅 |
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稲積家は1674年(延宝2年)より続いた庄屋の家系で、当時は750坪の敷地に主家の他、客殿など数々の建物が建築されていたという事です。現在残っているものは1844年(弘化元年)に建築された江戸後期の建築様式を色濃く残した庄屋屋敷で、「主屋」「背戸の蔵」「下の蔵」「門」が国指定の有形文化財に登録されています。
アクセス 邑南町井原1189
https://goo.gl/mGK11Z |
久喜・大林銀山跡 |
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石見銀山のうち世界遺産に登録された大森銀山と同様に徳川幕府が直轄領とした銀山のひとつで、200カ所を超す間歩群と24個の精錬所跡や、30a以上の広さの「からみ原(大量の鉱滓を捨てた跡)」が今も残っています。精錬所跡には溶鉱炉の跡が見られ、山の斜面にはレンガを積んだ煙道も確認できます。
アクセス 邑南町久喜660
https://goo.gl/HCYCZs |